今さら文献をひもといても、すばらしい情報をのせている「杉並情報」と「杉並の歴史」のホームページを見て頂いた方が早いですし結局は二番煎じになりますのでここでは自分なりの歴史観をひとつ…。 阿佐谷の地に越してきたのは、たぶん23年前(2004年現在)のことだと思います。まだ今の中杉通りが早稲田通りまで開通してない時期でした。途中の北4丁目までは出来ていましたが…。 中央線の歴史は結構古く、新宿、立川間が明治22年4月11日に開業しています。4ヶ月後に八王子まで延びて、新宿、八王子間を1日4往復、蒸気機関車が走っていたそうです。荻窪駅は明治24年12月21日にできていますが、阿佐ヶ谷駅が出来たのは大正11年7月15日で同時に高円寺、西荻窪ができたようです。このころは杉並村でした。東京も東京府と東京市から成り立っていて、都が出来たのは昭和18年7月です。 阿佐谷には区役所があります。青梅街道沿いにあるため阿佐ヶ谷駅からは少し離れています。区役所のすぐ下に丸の内線の南阿佐ヶ谷駅がありますが…。丸の内線は昭和29年1月20日に開通しています。それよりも中央線の阿佐ヶ谷駅が出来る以前に、もちろん丸の内線も存在しない大正10年8月に青梅街道、新宿ー荻窪間を西武電車が走り始めたのです。つまり青梅街道の方が交通の便はよかったわけですね。後に都電となり複線化されていきましたが、車社会に取って代わり今では存在すら忘れ去られています。 受け売りですが、漂うアートの匂いは文士村のなごり…。1923年の関東大震災を機に、東京の下町からたくさんの人が阿佐ヶ谷に移動してきました。そんな中には、文士の人々もいました。家賃がやすかった事が唯一の理由の様です。阿佐谷界隈には、与謝野鉄寛、晶子夫妻、田宮虎彦、太宰治、火野葦平、井伏鱒二等が住んでいました。今では歴史に残る文士達ですが、その頃は貧乏で、まだ世間にも認められてはいなかったようです。 (杉並情報より) |